神が導いてくれた鉱山に
感謝を捧げて
大鉑(おおばく)
別子銅山では、毎年元旦の早朝、事業の安全と繁栄を祈願するため、前年に採掘された最も高品質の鉱石の塊を鑿(のみ)だけで加工ししめ縄で飾り付けて、守護神である大山積神社に奉納する儀式が行われていた。その鉱石を「大鉑」、その儀式を「大鉑祭式」と称した。鉱石を山神にお供えするという風習は、別子銅山独特のものといわれ、閉山の年まで続けられた。
展示物の一部をご紹介します。
別子銅山では、毎年元旦の早朝、事業の安全と繁栄を祈願するため、前年に採掘された最も高品質の鉱石の塊を鑿(のみ)だけで加工ししめ縄で飾り付けて、守護神である大山積神社に奉納する儀式が行われていた。その鉱石を「大鉑」、その儀式を「大鉑祭式」と称した。鉱石を山神にお供えするという風習は、別子銅山独特のものといわれ、閉山の年まで続けられた。
旧別子の様子を描いた版画。1890年(明治23)別子銅山開坑200年の記念品として制作された。讃は住友13代家長友忠。
1889年(明治22)頃から1925年(大正14)まで惣開製錬所および四阪島製錬所で製造された精銅。不純物が多い点が捺染用ロール、写真版、汽船のプロペラなど特殊物件を製作するのに合致して好評を博した。「K.S.」は住友家家長住友吉左衞門の頭文字を頂いたもの。
別子銅山に関する幕府への願・届類等を留書した帳簿。開坑の1691年(元禄4)から1878年(明治11)までのものが現存する。