別子銅山記念館

別子銅山記念館

別子銅山記念館

展示物について

展示物の一部をご紹介します。

最後の坑口、辿り着いた固い意志

筏津坑(いかだづこう)鉱床標本

筏津坑24番坑(海抜下436m)で採取した鉱床標本。鉱石の上部は、鉱床を包む母岩である紅簾石(こうれんせき)石英片岩で別子の中では最も硬い石。

確かに進み続けた、開拓の軌跡

坑道模型

別子銅山近代化以降に掘鑿された坑道の様子を再現した模型。坑道の総延長は約700㎞。
採掘の中心である本山鉱床は、第一通洞を1番坑道として最下部32番坑道まで掘進された。高低差は約2,300m。張り巡らされた坑道の形状から一枚の薄い板状を形成した鉱床の様子を窺い知ることができる。

受け継がれる銅製錬の技、異国を魅了した赤紫色

御用銅箱と棹銅(さおどう)(複製品)

長崎へ送付した輸出用(オランダ・中国向け)棹銅の収納箱と棹銅。
銅は、御朱印船貿易(豊臣時代)以来、幕末に至る間のわが国の主要輸出品で、江戸中期以降別子銅山に割り当てられた量は、全輸出量の1/3~1/4を占めた。

先見の明で導いた、CSR経営の先駆者

伊庭貞剛(いばていごう)胸像

伊庭家御寄贈品。翁の四男伊庭慎吉氏が翁の13回忌(1937年、昭和12)にあたり、別子産の銅で製作した。

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