別子銅山記念館

別子銅山記念館

別子銅山記念館

展示物について

展示物の一部をご紹介します。

西欧の鉱山技術者が近代化へ導く

ラロックのトランジット

2点間の角度を計測する測量機器。1874年(明治7)製でルイ・ラロックが使用したと伝えられている。長らく所在不明となっていたが1975年(昭和50)閉山後の鉱山事務所で発見された。

海難を退け、近代海運の先駆者へ

白水丸(模型)

住友は、新居浜・阪神間の迅速・大量輸送を図るため、1872年(明治5)イギリス人から木造汽船(約54トン、2本マスト、暗車蒸気スクネール型)を購入し、泉屋の屋号にちなんで「白水丸」と命名した。1880年(明治13)まで銅・鉱山用資材・乗客などを輸送した。これを契機に住友は海運業にも進出した。

鉱夫は、この神秘的な輝きに心を奪われ

黄銅鉱

代表的な銅を含む鉱石。別子銅山の鉱床は、層状含銅硫化鉄鉱床(キースラガー)と呼ばれ、黄鉄鉱、磁硫鉄鉱を主体とし黄銅鉱を伴う。

鉱夫とともに、銅山の行く末を背負う

仲持(なかもち)人形

仲持は、開坑(1691年(元禄4))から牛車運搬が主流となる明治10年代まで180年間以上にわたり、銅山産出の粗銅と山内所要の食料類などを背負い運搬した人々の呼称で最盛期には数百人が旧別子山中から立川中宿までを往復した。標準運搬量は男子が45キログラム、女子が30キログラムであった。

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